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昭和レトロとリノベーション。ポップさといなたさ。猥雑さと洗練。観光と日常。オープンマインドと自立精神。熱海はあらゆる要素の、ごった煮だ。どこにもない妙味がするごった煮だ。そのレシピの秘訣を知りたくて、足を運んだのは干物、喫茶、スナック。熱海の日常に入り込むほど、コクは深みを増していく。

気

1

5代目が毎朝
魚市場で仕入れてきた
旬の鮮魚が
職人の手で
干物に。
釜鶴ひもの店 熱海市

熱海の特産品のひとつは、言わずとしれた干物だ。なかでも、熱海銀座通りをはじめ市内3店舗を展開する「釜鶴ひもの店」は、創業150年を超える老舗中の老舗。だが、その歴史にあぐらをかくことなく、トレーサビリティの確立や、鮮魚からの自社製造(一般市場では冷凍した魚の干物が多い)を実現し、レアで旬な干物を楽しめる店として不動のポジションを築いている。その店内には、古めかしい書状がある。書いたのは釜鳴屋平七。熱海サンビーチに銅像が立つほどの郷土の偉人にして、実は同店の祖先でもある。現在は5代目にあたる二見一輝瑠(ひかる)さんが当主を務めている。

薫

釜鶴ひもの店 熱海市

釜鶴ひもの店
熱海市

店内には、歴史的な
郷土資料
でもある
七平の書状も。
釜鶴ひもの店 熱海市

幕末の熱海村で、まぐろ網の権利をめぐって漁民と網元の間で争いが起こった。網元たちは賃金を払わず、領海料と水揚げ料の2重に徴収し、払えぬなら鮪網を渡せとせまった。そんな無体な所業に、憤りを感じ立ち上がったのが釜鳴屋平七だ。実は彼自身も網元なのだが、漁民側に味方し、ついには彼らを250人以上引き連れ代官所に直訴。当時、直訴は厳罰の対象。残念ながら平七も捕らえられ、八丈島流しの刑を受け、途中大島で没した。だが、熱海が生んだ悲劇の義人の志は、この街に広く長く染み渡り、13年の協議ののち漁民は勝訟にいたった。

る

熱海銀座通りの本店。
二見さんは
この商店街
の理事も兼ねている。
釜鶴ひもの店 熱海市

自主独立。不撓不屈。共助の精神。平七の魂から見いだされる街の風土は、150年が過ぎた今もそれは変わらない。名物の花火も、ファーマーズマーケットも、次々と誕生する人気店やスポットも、すべてローカルの仕掛けによるものだ。ちなみに、釜鶴5代目の二見さんもまちづくりに関わる、いわば先祖譲りのローカルヒーロー。彼らに共通するのは、「誰かのため」というソーシャルな意識よりも「自分たちの街を使って面白いことをしたい」という個の“欲望”。だから、ピュアで嘘がない。街に起業家が多いのも、人気の移住先に選ばれているのも、きっとそんな街自体の気持ちよさが理由のひとつなんだろう。

街

2

増田さんが熱海に
アメリカン
カルチャーを
もたらしたと
いっても
過言ではない。
ボンネット 熱海市

「どうしても谷崎潤一郎さんに会いたいんだ」。そんな相談をしてきたのは、かの映画評論家・淀川長治氏。「ああ、よく来るから聞いておきますよ」。そう快諾したのは、熱海の名喫茶「BONNET(ボンネット)」のマスター・増田博さん。昭和4年生まれの、御年92歳。いまだに現場に立ち続ける熱海文化史の“証人”だ。カクシャクとした語り口から出てくるのは、錚々たる文化人たちの名前。「三島由紀夫さんが近くのホテルによく泊まりに来ていてね。私は毎日のように海で泳いでいたら顔見知りになって、その後なぜか彼に水泳を教える羽目になりました」。こんな逸話が、当たり前のように出てくる、凄み。

へ

ボンネット 熱海市

ボンネット
熱海市

ボンネット 熱海市

ボンネット
熱海市

ボンネット 熱海市

ボンネット
熱海市

ボンネット 熱海市

ボンネット
熱海市

アメリカンフードも、
ボンネットが
持ち込んだ
ボンネット 熱海市

実は増田さんは、チャキチャキの江戸っ子だ。戦後、銀座の喫茶店やクラブで働くうちに、米軍将校との交流も生まれ、アメリカンカルチャーにのめり込む。そんな最先端の趣味人だった増田さんが、ひょんなつながりから熱海で店を開くことになったのが昭和27年。オープンするや否や、ジャズ、ハンバーガー、コーヒーといった最先端のアメリカンカルチャーを体感できる場として、一躍カルチャーの中心地になった。そして、その話題をききつけて、熱海で湯治をし、あるいは別荘を持つ文化人たちが足を運ぶようになる。幾多の才能と才能が、この場所で出会った。

古き良き店内空間は、
いま格好の
インスタ
スポットに。
ボンネット 熱海市

そして今、ボンネットは一種の観光地だ。若い世代は昭和の美意識あふれる店内や、名物のハンバーガーを撮影してsnsにアップしていく。彼らの姿を肯定的に捉えているのも、さすがの増田さん。「僕が熱海に来たとき、ジャズ喫茶は一軒もなかった。でも周りの人はみんなウェルカムで、良くしてくれた。新しいものを面白がって受け入れる、というのが熱海の風土なんじゃないですか」。新旧が混合して、違う価値を生み出していく。そんな生態系が熱海にはできあがっている。

3

熱海の夜に煌々と
灯る看板に、
今日も酔客が
吸い寄せられる。
スナック亜 熱海市

熱海は温泉街として発展するうちに、自然と夜の街としての表情も濃くなってきた。特にスナックは多く、中央町〜渚町に密集している。そのなかで、親子二代にわたって40年以上、夜の文化を支えてきた「スナック亜」にお邪魔してみよう。積み重ねてきた時が伺い知れるエモーショナルな外観と、煌々と灯るカウンターとテーブル席のシンプルな店内空間。これぞオーセンティックなスナック!ただ、カラオケはない。その理由は、「歌よりも、会話を楽しんでほしいから」と二代目である公己枝(きみえ)ママ。そう、ここは大人の社交の場。

スナック亜 熱海市

スナック亜
熱海市

スナック亜 熱海市

スナック亜と
昭和レトロな町並み
熱海市

気の合いそうな
お客さん同士を
つなげるのも、
ママの仕事だ。
スナック亜 熱海市

肩書や老若男女の別なく会話して、気の合う人同士がつながって、新しい関係やビジネスがはじまっていく。それがスナック亜の日常だ。といってもいわゆる“意識高い系”の会合ではない。愚痴や悩み、ときには業を背負ったような話も飛び交う。そんな人間らしい姿がぶつかりあって、融和する。「最初は、地元ならではのしがらみが気になっていた。でも、みなさんギスギスしていなくて、マイペース。自然もいいんだけど、結局熱海の人が好きなんです」(ママ)。

「一度熱海を出て
いたからこそ、
熱海の
良さがわかるように
なりました」
スナック亜 熱海市

さて、「スナック亜」は、残念ながら一見さんお断り。ローカルにとっての、大事な憩いの場を守りたい、というママの想いからだ。が、ここで耳打ち情報。「72」の利用者と言えば扉は開くという(満席でなければ)。ぜひ、熱海ローカルとの肩肘張らないコミュニケーションを通して、むきだしの自分になってほしい。最後に、公己枝ママに、熱海はどんな街かを聞いてみた。「人を受け入れてくれる街。なにがあってもどこかに許しがある街」。奇しくも、ボンネットのマスターと同じ言葉であった。

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